「作者の気持ちなんか考えてなんになるの?」
国語を勉強する意義が分からない人は、しばしば「作者の気持ちなんか考えて何になるの?」と疑問を持ちます。
その答えとしては、とりあえず「国語は作者の気持ちを考える科目ではありません」といえます。
国語は、論理を使いこなすためにある科目です。
国語の授業で「この文章を書いた作者の気持ちは?」と問われるのは、その文章を作者が書いた意図、伝えようとしている内容がなんなのか、を論理的に読み解くためです。
ですから、「作者の気持ちは?」という問いは、そもそも作者のその時の感情を問うているわけではないのです。
それにしたって国語は勉強する必要あるの?
国語を勉強する意義は必ずあります。
なぜなら「国語は勉強することによって伸びるから」「国語を勉強して身に着く力が生きていく上で必須だから」です。
国語は正しく勉強すれば必ず伸びます。
その理由と勉強する内容の要約を、順に見ていきましょう。
国語は勉強すれば伸びる
そもそも、国語は勉強しても伸びない、というのが大きな間違いです。
「国語はセンスが必要だから勉強しても意味がない」なんて言葉も、よく耳にしますね。
確かに、センスが良い人がいるのは事実です。本が大好きであれば、その分国語の勉強がしやすいのは間違いありません。
とはいえ、だからといって「国語は勉強しても伸びない」わけでも「国語は勉強しても意味がない」わけでもありません。
高校受験・大学受験で求められている国語の力は「物事を論理的に読解・表現する力」です。
「作者の気持ちを考える」ことでも「小説をありのままの感性で味わう」ことでもありません。
論理的に物事を読解し、論理的に文章で表現するには、センスではなく知識と訓練が必要です。
そして、知識と訓練は勉強によって身につけるのに他ありません。
ざっくりと、どんなことを勉強すればいいのかは、このあと解説します。
具体的に、何を勉強すればいいのか・どうやって勉強すればいいのかは、別記事で解説します。
国語で知識を勉強する
国語では、日本語や言葉の意味、その使われ方、日本の文化、歴史などを勉強します。
漢字、熟語、ことわざ、慣用句、語彙、文学史、文化史などがそうですね。
この知識なしには、文章を読むことも書くことも出来ません。
でも、友達とのLINEとか会話では難しい言葉なんか使わないよ。
これからだって、難しい本とか読まなければいいだけの話でしょ?
と思う人もいるでしょう。
大人になったら、そうもいきません。
会社に入社するときの契約書には容赦なく難しい言葉が使われますし、冠婚葬祭などの行事でも教養として難しい言葉を知っていないと恥をかく場合もあります。
じゃあ、その社会に出て使う言葉だけを教えてくれたらいいじゃん。
そう思うのも無理もありません。しかし、それは難しい相談です。
この世に必要な知識は学校では教えきれないほどあり、その全てを教えるのは不可能です。
その代わりの案として国語で身につける力こそが、「基礎知識と応用力」なのです。
例えば、冠婚葬祭の「忌み言葉」「上座下座」って言葉を知っていますか?
「忌」という漢字に「嫌って避ける」という意味があることさえ知っていれば、「冠婚葬祭で避けた方が良い言葉」なのだと理解が早いですし、覚えやすいですね。
「上座下座」もそうです。「上」や「下」が持つ意味は、みなさんも小学生のときから知っているでしょう。だから「身分の高い人の席が上座、身分の低い人の席が下座」と覚えやすいのです。
将来必要になる知識は、こういうことの連続です。
国語で読解を勉強する
そして、国語では読解も勉強します。
知識が必要なのはわかったよ。でも、読解力なんて必要ないでしょ?難しい小説好きじゃないし。
と思う気持ちも分かります。
厄介なことに、読解力も知識と同じくらい必要なんです。
先ほど、必要な知識を全て教えるのは不可能だから、応用力が必要だ、とお伝えしましたね。
その応用力を養うために、読解力が必要です。
またまた繰り返しになりますが……。
さっき、会社に入社するときの契約書には、容赦なく難しい言葉が使われる、とお伝えしました。
難しいのは言葉だけではありません。文章自体も入り組んでいて、読みづらい場合が多いです。
さらに、その文章で伝えたい内容自体が理解しづらい物事を扱っている場合もあります。
そんなときに、読解力がなければ、重要な決まり事を見逃してしまう可能性もあります。
国語で表現を勉強する
さらに、国語では表現も勉強します。
知識や読解力が必要なのは認めるけど、さすがに表現力は要らないでしょ!作家になるわけじゃないんだから!
これも気持ちは分かります。
残念ながら、表現力も要ります。
「表現力」といっても、文学的・詩的な表現ではありません。
論理的に、かつ無駄がなく、正確に伝える力のことです。
高度な頭脳労働になればなるほど、表現力を持っている必要性は高まります。
会社での話なら、仕事で使う資料や業務のメールなどを読んで、その後は必ず誰かに必要事項を伝えることになります。
なぜなら、たいていの仕事は、複数の人が協力して行うからです。
例えば、あなたが上司で、部下に対して、ある簡単だけど時間がかかる作業を頼みたいとします。
急ぎではないものの、1週間以内に済ませて欲しい。なぜなら、それが終わらないと始められない仕事があり、その新しい仕事は1週間後くらいに取り掛かりたいものだからです。
ここで必要になるのが表現力です。
- 簡単な仕事である
- 時間がかかる仕事である
- 1週間以内に完了して欲しい
- この仕事の結果を使って新たに始める仕事がある
- その新たに始める仕事は、1週間後に始めたい
これらの情報を上記に整理したように、的確に、かつ簡潔に伝えなければいけません。
複数の情報を、的確に、かつ簡潔に伝えることこそが、国語で勉強する「表現力」です。
「易くさりとて累々たるこの業を納めて欲しい。太陽が地球を七たび巡るまでに」みたいな表現力を身につけろと言っているわけではありません。
実は文学的・詩的な表現力も大いに役に立つのですが、ここでは割愛します。
国語の勉強は必須
国語の勉強は必須です。
その理由は、大きく分けて3つあります。
1つめは、単純に高校受験にも大学受験にも国語力が必須だからです。
2つめは、他の科目の学力を上げるのにも、国語力が必須だからです。
3つめは、国語の勉強をするのは、あなたが大人になったとき身を守ることに直結するからです。
国語は高校受験にも大学受験にも使う
国語は、高校受験にも大学受験にも必要です。
高校受験の場合は、特に主要三科目が重視されますね。
大学受験で文系を選択するなら、国語力を持っていなければ全ての受験科目で苦労します。
理系を選択する場合だってそうです。
国公立大学なら一次試験で国語が必要ですし、二次試験でも必要な場合だってあります。
私立大学の理系学部を受験する場合でさえ、国語と無縁ではありません。
内申点を決める学校の授業では国語がありますし、そもそも英語や理科、数学でさえ問題を解くのに国語力は必要です。
全ての科目の学力を上げるのに、国語力は必須
先ほど、英語・数学・理科・社会にも国語力が必要だと触れましたね。
1つずつ見ていきましょう。
英語。言うまでもないかと思いますが、英語は結局、言葉です。英文読解をするにも、英作文をするにも、どんなに英語の知識があっても国語力がなければ意味がありません。
数学。これに関しては、国語で勉強する「知識」に関してはほとんど使いません。とはいえ、国語は論理を使いこなす科目だと説明しましたね。数学も同じく、論理を使いこなす科目です。使う言葉が数式や記号であるだけです。
理科。理系科目ですが、覚えることと計算することがだいたい8対2くらいの割合でありますね。覚えることを理解するために、国語力は必須です。
社会。暗記科目だと思われがちですが、膨大な情報を覚えるためにはものごとの繋がりや因果関係を理解しなければいけません。そのために使うのが国語力です。
全ての科目の力のベースに、国語力が関連しているのが、分かってもらえたでしょうか。
国語の勉強をするのは身を守ることに直結する
国語の勉強をするのは、あなたが大人になったときに身を守ることに直結します。
そんなバカな、と思ったでしょうか。本当です。
もはや、これから先重要な局面で、あなたを守るのに国語力がモノを言う機会が多すぎて、何からお伝えしたらいいかわからないくらいです。
会社でサラリーマンになった場合
1つ例を挙げましょう。
例えば、会社でごく普通のサラリーマンとして勤めることになった場合。
あなたは対面・メール・会議・電話などで、様々な情報を総合して処理し、会社にとって、部にとって、どうすれば利益が生まれるのかを考えて仕事をしなければなりません。
その力の根本にあるものが国語力です。
上司に仕事の進み具合を報告するにも、部下に仕事を教えるのにも、同僚と協力するにも、人とコミュニケーションを取るのは必須です。そのコミュニケーション力の根底にあるものが国語力なんです。
コミュニケーション能力に国語力が必要?
「コミュ力」なんて、国語の勉強しなくても身に着くでしょ?
と思ったあなたは、まだ国語という科目を誤解しています。
高校受験・大学受験の国語は、「作者の気持ちを考える」科目でもなければ「小説をありのままの感性で味わう」科目でもありません。
それは、大学で学ぶ範囲です。
会社の仕事や、公的な手続きを円滑に進めるためには、国語で勉強する知識・読解力・表現力が必須です。
先ほど上司から部下への指示を例に挙げましたね。
友達同士の気楽なおしゃべりでさえ、それらがしっかりしていないと、十分には楽しめません。
コミュニケーションを苦手とし、日常生活に不便をきたしている人もいるのではないでしょうか。
コミュニケーションが苦手になる要因の1つが、国語力が不足していることです。
自分の考えや気持ちや状況を、上手く表現するのが苦手なために、親しくない人とは話しづらい場合があります。
「作者の気持ちなんか考えて何になるの?」と言ってはいけない理由
余談ですが。
「作者の気持ちなんか考えて何になるの?」という言葉は、原則、言わない方がいいです。理由は2つ。
1つめは、そもそも国語は「作者の気持ちを考える科目」ではないからです。
2つめは、その疑問をぶつけたくなる相手は、自らの意思で文系の進路を選んでいる可能性が高いからです。
1つめの理由についてさらっと解説します。
さっき、「国語は論理の科目だ」と長々と解説しましたね。
だからです。「作者の気持ちを考える」のは、大学で学ぶ文学です。
2つめの理由について。
あなたがこの問いかけをぶつけたくなる相手は、「国語は大事だから勉強しなさい」と言ってくる人でしょう。
それは、親御さんかもしれませんし、国語の先生かもしれません。
なぜ「国語を勉強しなさい」と言うのかというと、国語の重要性を知っているからです。
国語の重要性を知っている人は、自分が国語の力を必要とする場面に出くわした人でしょう。
もっと重要なのは、「国語が好きで、自らの意思で国語・文系科目をより深く学ぶ大学の学部に進学した人」である可能性も高いことです。
文学部はもちろん、法学部、経済学部、社会学部、国際学部かもしれません。
そんな人に「作者の気持ちなんて考えて何になるの?」と聞くのは、大変な侮辱になります。
「そんな科目必要ないし、何にもならないんじゃないの?」と聞くこと自体が、です。
その人が学んできたこと、学びたかったことを、根底から、それも間違った認識でバカにするのと同じです。
他の科目でも同じですよ。
とはいえ、学校や塾の先生に関しては「その科目を学ぶ意義を教える」のもその人の役割の1つです。
ですから、「どうやって役立てるの?」とか「学ぶとどんな良いことがあるの?」という聞き方は良いと思いますよ。
「そんなもの、役に立たないんだろう」という決めつけが透けて見える態度を、その科目を選んだ人間にぶつけることは、人としてやってはいけません。
国語を勉強しなければならない理由
国語を勉強しなければならない理由が、少しはお分かり頂けたでしょうか。
まとめると、以下の通りですね。
- センスではなく、勉強することで伸びるから
- 高校受験・大学受験で使うから
- 国語の力は、他の科目の力の基礎でもあるから
- 国語で身につく力が、身を守るから
実は、国語を勉強して得られるものは、これだけではありません。
寂しい心を慰めたり、辛い状況を切り開くヒントになるものが、読解力を通して得られる文化作品のメッセージかもしれません。
昔、戦争の捕虜たちが強制労働させられていた最中に、彼らの心を救ったのは、イギリスの劇作家シェイクスピアの「オセロ」でした。
言葉を使った表現が、人の命を救うことが実際にあるんです。逆に、人の命を奪うことさえあります。
これに関しては、また別記事で解説するかもしれません。
それでは、実際に国語の勉強の内容・国語の具体的な勉強法についても確認してみましょう。